2012年8月30日木曜日

個人主義者の詭弁 個人と自我

現在も個人主義者たちは、個人主義と自我(エゴ)の塊の様な自分主義とは違うんだという言い逃れの屁理屈を、繰り返しています。しかし、近代思想の中核を成す個人という観念の、更にその核心を成すのは他ならぬ自我という観念なのです。むしろ、個人という観念は、自我を肯定視し美化する為に作られた観念だと云っても良いでしょう。現に個人主義は、自我を肯定視しており、決して自我を否定していません。

ただ、'70年以降、あまりにも自分主義の弊害が大きくなってきたので、「他人の自由や権利を最大限に尊重するのが、本当の個人主義だ」という論調に変わってきました(そうでないと人々の共認が得られない)。しかし、そうなってもなお自我は肯定視されたままで、否定できないでいます。それも当然で、自我こそが個人主義の核心を成すものであり、もし自我を否定して他人の尊重を第一にすれば、個人主義は相手主義に大転換して終うからです。それほどに、自我(という観念)と個人(という観念)は、不可分なものとして形成されています。

ところで、最近の言い逃れの様な「相手の尊重」という個人主義の言い分ですが、いったい大切なのは自分なのでしょうか?相手なのでしょうか?それとも自分と相手がイコールの比重を持つのでしょうか?もし、自分と相手がイコールの比重を持つとすれば、その主体はもはや自我では在り得ず、(当然、個人という観念も消えて)全く新しい概念が必要になりますが、それは何なのでしょうか?


四方勢至

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