| 理念、理想とは頭の中だけで「こうあるべき」という観念を結晶化させたものです。 そしてこのようなものが登場したもう一つの理由は、社会を統合する上で何がしかの観念(人々にとって都合よく見える=プラスに見える観念)を必要としたことにあります。 さて、では我々はどうすれば良いのでしょう。 |
私はおそらく必要なものは状況判断、経験則、さらには社会や人間にたいする構造的認識、これらがあれば本来十分であろう。と思います。
しかしそれらとは別に人間には親愛や心の交歓や仲間意識等々の体感的な情感が必要なことはいうまでもありません。愛や自由や権利などと言う頭の中の理念よりもそういった実態的感覚が弱い人間を支え励ましてくれると思います。問題はおそらく後者が喪われてしまったためにそれを頭の中で価値として再生させるために人間はそのような代償としての観念(宗教や理念など)を必要としたということでしょう。(だからその言葉はうそ臭いと言う感覚も皆持っています)
さて、ではおそらく問題は2つです。一つはそれらの失われた価値をどの様にすれば”実体として、現実に”再生していけるのか?その基盤や必然性はあるのか?その前に人間は何故そのようなものを求める存在であるのか?などを考える必要があるでしょう。基盤が無ければ少なくともその時点では誤りだから認識を転換する、あるいは時期早尚として次善の策や基盤となる現実を整備すると言うことになるでしょう。
もう一つの問題は体感的な情感だけでは社会は統合できないことです。(顔の見えない、経験を共にしたことの無い相手には通用しません)もちろんそれを言葉化しただけでも社会は統合できません。(例えば「思いやり」や「人権」等の観念と実践だけでは社会は統合できません。常にそれを超える問題が存在するのが社会だからです)
だからこそ冒頭述べたような曇りの無い状況判断や法則認識、構造認識が必要となるのだと思います。
それが出来るのかって?人間には常に完璧はありません。しかし少なくともそれを志向しない限り、現実判断は常に誤ったままです
北村浩司
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