2012年9月9日日曜日

人権思想についての疑問 その1

人権思想についてはいくつかの疑問点があります。

小学生や中学生の頃から、学校では「人権とは、人類に普遍で不可侵なものである」と教えられ、何の疑いもなく信じこまされてきました。

しかし、例えば、手元にある岩波文庫の『人権宣言集』を開いて、フランス人権宣言(人および市民の権利宣言)の章の解説を読んでみると、山本桂一氏はフランス人権宣言においての3つの傾向を挙げています。要約すると以下のようになります。

①形而上学的傾向・・・時間的空間的に限定された諸原理を明言するものではなく、人間社会に共通の普遍的原理を承認するものである。人の本性から派生する自然権として、人は人であるかぎりその帰属を受けるとし、この権利の確認のために前文で「至高の存在」を招請している。

②個人主義的傾向・・・すべて政府および社会は、個人およびその幸福を究極の目的とし、自然権の保全を政治団体の目的としてかかげている。

③市民階級中心の傾向・・・憲法制定議会は、第三身分の代議士が支配するものであったからその採択した宣言が必然的に市民階級の排他的尊重の上に立つことにはふしぎはなく、その具体的発現は、市民の平等の尊重と市民の所有権の保障の2点に見出される。市民階級の生計を確保するとともに、市民の資本家活動を促進して、資本主義経済発展および市民階級興隆の途を開いた。

しかし、上記のように、人権擁護派の(誠実な)かたがたでさえ、人権思想は形而上学的であると述べています。生物学などの事実の考察から結論づけられたものではなく、改変可能な人工物なわけです。つまり、イデオロギーといって良いと思います。

事実、フランス人権宣言が発せられた当時、人権を保障する「至高の存在」は宗教の御神体と同じく狂熱的な崇拝の対象であり、「至高の存在」を祭る築山がつくられ、民衆は歓喜の表情でそのまわりを取り巻いたそうです。

人権思想のこのような側面は、小中学校を通じて教えられることはないし、また、マスコミなどでも語られることはありません。大学などの高等教育の法学を学ぶ場では、上記のように人権思想とは人工的なイデオロギーであることを説き、大衆には「人類普遍の不可侵なものである」と信じこませているわけです。明らかに二重構造があることがわかります。

同様な構造は戦前の天皇制イデオロギーにも見られます。一般の大衆には「天皇は現人神である」と教えられ、高等教育では天皇は国家機関の1つであると教えられていたことです。現在の日本で、「天皇は現人神である」といえば、イデオロギーであると反発を受けることは必至です。ところが、人権思想はイデオロギーであると認識している人は大衆の中には少ないと思います。大衆の覚醒を目指すといっている人権思想こそが、実は大衆を妄想の世界に落とし入れているといえます。


槇原賢二

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